『日の名残り』を読んだ感想
カズオイシグロの著作『日の名残り』を読みました。
主人公であるスティーブンスの気持ちを考えると、もう、切なくて切なくて……!
カズオイシグロは、2017年にノーベル文学賞を受賞しています。
『日の名残り』を読む前は、「作者はノーベル文学賞をとるぐらいだし、この作品もきっと難しい文章で読みづらいんだろうな」と思っていたのですが、意外にも、とても読みやすい作品でした。
最初から最後まで、スティーブンスの1人語りという体裁で物語が進むのですが、そこには「信頼できない語り手」という手法が使われています。
断片的に語られるステーブンスの過去がどのように現在に影響し、そして物語がどこに終着していくのか、ハラハラドキドキして読み進むことができました。
ということで、『日の名残り』を読んだ感想を書いていきます。
※多少のネタバレがあります。
どんな内容か
スティーブンスは、イギリスの歴史あるお屋敷で働いている執事です。
以前のお屋敷は、国際会議が開かれるようなとても華やかなところだったのでした。
しかし今はお屋敷の主人も変わってしまい、訪ねてくる人も少なくなってきています。
そんな中、スティーブンスはお屋敷の主人から休暇をもらいます。
仕事漬けの日々を送っていたスティーブンスは、今までは休暇があっても特にお屋敷の外に出かけることもほとんどなかったのですが、今回は以前の同僚であるミス・ケントンに会いにいくことを思い立ちました。
そうして始まった車でのイギリス小旅行。
小旅行の道中での出来事や、ミス・ケントンとの思い出、そしてお屋敷の全盛期の回想が、スティーブンスから断片的に語られていきます。
読んだ後は切なくなる
とにかく、読んだ後は切なくなりました。
スティーブンスは執事としての高すぎる職業意識ゆえに、仕事でも私生活でも自分の気持ちを抑圧する傾向にあります。
ミス・ケントンとは同僚以上の感情をお互いに持っていたけれど、それに気が付かない振りをして仕事に打ち込みます。
また、父親の死の直後でさえも、仕事に打ち込みます。
執事としては非常に有能だったのでしょうが、お屋敷の全盛期を過ぎ、そしてスティーブンス自身も肉体の全盛期を過ぎた今、過去を振り返ってみて、自分には何も残っていないと嘆いてしまいます。
私は、スティーブンスは不幸だ、と思ってしまいました。
これまで精一杯に主人に仕えてきましたが、その主人が世間的に批判を浴びる立場となってしまったことから、執事である自分の努力も無価値だったのではないかとスティーブンスは考えます。
また、自分の感情を抑圧せずに向き合っていれば、ミス・ケントンと結ばれる未来もあったのではないかと想像してしまいます。
そうして今の自分には、落ち目になっていくお屋敷と、老いを感じる肉体しかありません。
スティーブンスはなんて不器用な男なんだ……!
これは私の価値観ですが、男の価値って、「やさしさ」「肉体の強さ」「人生で何を成すことができたか」にあると思うんですよね。
これからのスティーブンスには、これらの男の価値を積み上げていくことができず、過去を振り返って生きるしかないのか……って思うと切なくて切なくて。
でも、妻の感想は(妻が先に読んでオススメしてくれました)、スティーブンスは不幸ではない、ということでした。
スティーブンスは不幸だと決めつけてしまっていた私には、目からうろこの考えでした。
『日の名残り』というタイトルにもあるように、過去がどうこうではなくて、これからをどう生きるのか、というのがこの作品のテーマなのかもしれないですね。
信頼できない語り手
この作品はスティーブンスの一人語りで進みます。
語られることのすべては客観的なものではなく、スティーブンスの主観的なものとなります。
そのため、スティーブンスの過去の失敗や過ちはオブラートに包んで語られたり、栄光あるできごとは大げさに語られたりします。
つまり、スティーブンスの語りが、必ずしも真実とは限らない、ということです。
これが「信頼できない語り手」という小説の技法です。
物語を進むにつれて、スティーブンスが自分の気持ちと向き合っていく過程が徐々に明らかになっていくのですが、これがハラハラドキドキして先が気になって仕方がなくなりました。
何かこれといって大事件が起きたりするわけじゃないんです。
でも、語られることのすべては、スティーブンスの人生においては非常に重要な意味をもつものばかり。
私は普段はファンタジー系の小説や漫画ばかり読んでいるのですが、派手な事件が起きなくても、ハラハラドキドキできるものなんですね。
ものすごく面白い小説でした。
気になる方はぜひ読んでみてほしいです。