しかたなすびの読書記録

ー夢は莫大な不労収入ー

村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が面白くなかったから感想を書く

『限りなく透明に近いブルー』を最後まで読んだけど、まったく面白くなかった。
登場人物がどいつもこいつもセックスかドラッグかアルコールしかやってない。
その描写にずっと不快感があって、読むのをやめようかと何度も思った。

でも、この作品は芥川賞史上でいちばん売れている本らしい。
全部読んだらきっと面白いと思うはずだと思って、頑張って最後まで読んだ。
それでもやっぱり面白くなかった。

読んでから数日が経っても、不快感がずっと続いているのに気がついて、「あれ、もしかしてこれがこの作品の持ち味なんじゃないか?」と思うようになった。
体に毒が染み込むように、読む前と読んだ後で、なんとなく自分が変わってしまったかのような気持ちになった。

面白くはないけど、嫌でも忘れられなくなる作品。
『限りなく透明に近いブルー』は、そんな話。


新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

  • 作者:村上 龍
  • 発売日: 2009/04/15
  • メディア: ペーパーバック

作家・村上龍

『限りなく透明に近いブルー』は、村上龍の著作。
村上龍はこの作品でデビューし、群像新人文学賞、そして芥川賞を受賞した。
村上龍は、作家のほかにも、映画監督としての活動もしている。

ちなみに、村上龍は1952年生まれ。
出身は長崎県佐世保市。
血液型はO型。



あらすじ

主人公のリュウは、米軍基地のある町、東京の福生市に住む。
リュウはアルコール中毒者であり、ドラッグ・ジャンキーである。
友人たちも同じくヤバいやつらばかりで、みんなで乱交パーティーやドラッグパーティーなんか平気でやっちゃう。

そんなやつらばかりが登場するから、「清潔」とはかけ離れた生活が描写されていて、たぶん、10ページに1回ぐらいは誰か酔って(もしくはドラッグのせいで)吐いている。
地下鉄の車内でも駅のホームでも、自分の部屋でもお構いなし。あっちこっちで吐いている。あいつら、絶対くさい。そしてその異臭や不快感が隠されることなく描写されている。

物語もあってないようなもので、どこに終着するわけでもなく、カタルシスもイニシエーションもなく、そんな退廃的な世界を延々と見せられる。そんな作品。



文体は清潔である

『限りなく透明に近いブルー』は1976年に発行された作品だから、その時代の若者たちはこんな風に生きていたのかといえば、絶対にそんなことはない。そんなことはないのだが、「これが今の若者の世の中の見え方なんだ」という評価を受けた。

芥川賞選考会ではこの作品について賛否が別れたらしいが、「文体は清潔である」という点では一致したらしい。

正直なところは、私のつたない文章センスでは何が「清潔」なんだかよくわからなかったのだが、巻末に載っていた綿矢りさの解説を読んで、なんとなく言わんとしているところがわかった。(綿矢りさの解説は、講談社文庫の『新装版 限りなく透明に近いブルー』に載っていた。)



    (『新装版 限りなく透明に近いブルー』に載っている綿矢りさの解説から抜粋)
  • 『本作が発表されたとき当時の世間が、これが新しい若者の生態だと騒いだらしいけど、原因はリュウのこの物の見方にあると思う。暴力とドラッグに、まみれた異常な世界を彼は普通の世界のように眺め続ける。』
  • 『ひどい私刑が起こっても、女友達が暴力を振るわれてもリュウは見ているだけ、助けもしない。でも彼は実際は赤ん坊ではなくて目の前で起こっていることを理解しているから、無言のうちに目の前の光景を身体のなかに通し、その度に傷ついている。』


この作品を読んで面白いと思えるためには、1976年当時の時代背景を経験する必要があるんじゃないかな。
私はその経験がないから、面白くなかったんだと思う。


文章はテレパシー

同じく、綿矢りさの解説ではこんなことが書いてあった。



    (『新装版 限りなく透明に近いブルー』に載っている綿矢りさの解説から抜粋)
  • 『スティーヴン・キングは『小説作法』という著書で、“文章とは何か”という問いに“もちろんテレパシーである”と答えている。作家と読者が同じ映像を見ているわけではないのに、文章の力によって、作家と読者が互いの頭のなかにまったく同じ映像を思い浮かべる、その様を“テレパシー”と読んでいるのだ。』


なるほど、私も『限りなく透明に近いブルー』を読んで、強烈な不快感のある映像を思い浮かべた。作者からのテレパシーを受け取ったわけだ。あんまり嬉しいものじゃなかったけど。

すごい作品だったんだなーと、解説を読んで初めて思った。



それはそうと、金原ひとみの『蛇にピアス』の解説を村上龍が書いていた。その中で、こういったことが書いてあった。



    (金原ひとみ『蛇にピアス』に載っている村上龍の解説から抜粋)
  • 『しかし芥川賞という権威の衣をまとうことによって、この小説が持つ毒・魅力は教養というオブラートに包まれることになった。そのことが作品にとって幸福なのか不幸なのか、私にはわからないし、たいして関心はない。ある時代を代表する強烈な作品はそういう運命を辿るのかも知れない。』


『限りなく透明に近いブルー』は、『蛇にピアス』と同様に、毒のある作品である。

蛇にピアス (集英社文庫)

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蹴りたい背中 (河出文庫)

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  • 作者:綿矢りさ
  • 発売日: 2013/10/04
  • メディア: Kindle版

金原ひとみの『蛇にピアス』が面白かったから感想を書く

『蛇にピアス』は、ここ最近読んだ本の中で一番えっちだと思った。

『限りなく透明に近いブルー』もセックスの描写がたくさんあったけど、あれは読んでいて不快感を伴うものだったし、『ノルウェイの森』はやらしいとも思わなかった。

でも、『蛇にピアス』はえっちだなと思った。
きっとセックスそのものに登場人物の葛藤がなくて、単純な性行為の描写だからなんじゃないかなと思う。

まあ、『蛇にピアス』のセックス描写は作中では本筋ではないんだけども。でもすごく印象的だった。アンダーグラウンドな世界に住む彼女らの生活を描写する上で、なくてはならないものだったと思う。


蛇にピアス (集英社文庫)

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蛇にピアス [Blu-ray]

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作家・金原ひとみ

『蛇にピアス』は、金原ひとみのデビュー作。
この作品は、すばる文学賞を受賞していて、しかもさらに、綿矢りさの『蹴りたい背中』とともに芥川賞を受賞して話題になった。

ちなみに、金原ひとみは1983年生まれ。
出身は東京都。


蹴りたい背中 (河出文庫)

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あらすじ

「スプリットタンって知ってる?」というセリフから物語が始まる。
主人公の女の子であるルイに、アマという男が自分のスプリットタンを見せる場面で、ルイがスプリットタンに強く惹かれる場面だ。そうしてルイはアマと同棲することになる。

スプリットタンというのは身体改造の一種で、舌にピアスやメスを入れることで、蛇のように舌の先端を二股にすること。

「スプリットタン」で画像検索してもらえればわかると思うが、なかなかに刺激的なもので、一般的には入れ墨よりも忌避感が強いものじゃないだろうか。



さらにルイは、入れ墨の彫師であるシバさんとも関係をもつ。
そしてスプリットタンの身体改造を進めながら、入れ墨もいれてしまう。

そんなルイが、アマとシバさんの間をふらふらとして、身体改造への暗い情熱に流されていくお話。



流される生き方

何か大きなものに流されてしまいたい、そういう気持ちは少なからず誰にでもあると思う。人によってはそれが仕事だったり、恋人だったり。
何か大きな流れというものを川に例えると、流れがとまった川の部分はよどんでしまうように、停滞した人生というものには苦痛が伴う。人生において、何もしない、何もできない、というのは意外と苦しい。

主人公のルイは、家族でも、仕事でも、自分のアイデンティティでも、拠り所となるものがない。自分で能動的に生きていけないから、何かに流されてしまいたいと思っている。
だから、アマとシバさんの間をふらふらと成り行きにまかせて行ったり来たり。

ルイにとって、情熱を傾ける方向がスプリットタンや入れ墨じゃなければいけない理由はないし、信条や信念があるわけでもない。でも熱心に身体改造にいそしむ。
それは簡単に流されてしまえそうな刺激的なものに見えたから、そういうアンダーグラウンドな世界に流されていったんじゃないかな。



作中では、こういうシーンがある。



    (『蛇にピアス』集英社文庫 p113抜粋)
  • 冷蔵庫の中の冷え切った水をペットボトルのまま飲むと、舌の穴を水が抜けていく。まるで自分の中に川が出来たように、涼やかな水が私という体の下流へと流れ落ちていった。


ちなみに、上にある「舌の穴」は、舌に開けたピアスの穴のこと。

小説家志望の筆者が『シナリオを書きたい人の本』を読んだ感想



芦沢俊郎が書いた『シナリオを書きたい人の本』を読みました。

私は小説家志望ですが、創作のイロハをまったく知りません。現在、ゆっくりと勉強中です。

そのため、そもそも「小説を書く」ことと、「シナリオを書く」ことの違いもまったくわからなかったのですが、この本を読んで自分なりにわかったことがあります。

ということで今日は、「シナリオ作りを学ぶことは、小説を書くうえで参考になるのか?」という視点で、『シナリオを書きたい人の本』を読んだ感想を書きます。


作家志望も身につけたい、シナリオを書く力

小説の書き方をネットで検索すると、必ずといっていいほど「プロット作りが大事」という旨の記事をみるはずです。

創作初心者の私としては、「プロットってどうやって作るの?」とちんぷんかんぷんで、いざプロットを書いてみようとノートを開いてペンを持っても、どうしていいかわからずうんうんと唸るわけです。

しかし、『シナリオを書きたい人の本』を読んで、「シナリオ作り」は「プロット作り」と同じなのではないかと思いました。



「シナリオ作り」とは、ドラマや映画などの「台本作り」である。といった方がイメージしやすいと思います。

台本は、登場人物のセリフと、ト書きと呼ばれる簡単な説明文のみで成り立っているものです。細かい描写を省いた、ストーリーの骨子のみが書かれています。

……これってプロットみたいなもんじゃないですか?

小説であれば、作家ひとりがプロットをもとに、物語の演出や人物描写、背景描写などを文章をつかって作りあげます。

しかしドラマや映画では、シナリオライターが作った台本をもとに、演出家や役者、美術スタッフなどの大勢が関わって作りあげていくことになります。

小説家とシナリオライターにはそうした役割の違いがあり、ストーリーの骨子という部分によりいっそう焦点が当たるのが、シナリオライターなのではないでしょうか。

ですので、シナリオ作りの力は、小説家になるためにも必要の力といえるでしょう。



シナリオの基礎

シナリオを小説に生かすとしたら、意識したいのが「映像化という視点」です。

小説という媒体は文字だけのものになりますので、描写の精度はどうしたって読み手の想像力に依存します。そのため、戦闘シーンなど派手で動きのある描写は苦手であると言われています。

しかし、自意識の塊である私みたいな小説家志望は、たいした作品も作れないのに「自分の作品が売れまくってアニメ化や映画化したらどうしよう」と妄想するわけです。

シナリオ作りの力を身につけて、「映像化という視点」をもって日頃から作品を作っていれば、そうした妄想も現実に少しは近づくのではないでしょうか。



『シナリオを書きたい人の本』では、

・ファーストシーンの重要性 ムダのない運びを心がけよう
・メインキャラクターの登場 インパクトのあるシーンを描こう
・インサートカット
・ムードシーンはビジュアルにこだわって
・場面を先読みされないようつねに配慮する
・登場人物の心の内側を描く
・ワンシーン・ワンテーマ
・説明セリフに要注意
・脇役の描き方を覚えよう
・大詰めはアップテンポで
・余韻を残してエンドマークを
(『シナリオを書きたい人の本』から一部引用)

などが解説されていて、とても参考になりました。



もし、『浦島太郎』でシナリオを作ったら

『シナリオを書きたい人の本』では実践として、著者である芹沢俊郎が『浦島太郎』や『桃太郎』といった昔話を、シナリオの考え方をもちいて再構成したものが例となって紹介されていました。

たとえば『浦島太郎』では、多くの人がファーストシーンに「浦島太朗の家」を想定するが、それではどうしても説明なシーンにしかならない、と著者は考えています。

浦島太郎と乙姫の物語という主軸を盛り上げるため、著者はファーストシーンを「浦島太郎と亀のドラマチックな出会い」に設定していました。

ムダのない運びを意識したわけです。

私のようなエンタメ小説を書きたいと思う人は、ムダのない運びを意識して構成を考えるべきですね。面白い。



番外編:占い師、中園ミホ

シナリオ作りに関することではないのですが、面白かったので余談として。

『シナリオを書きたい人の本』では、プロのシナリオライターである中園ミホのインタビューページがありました。

そこでは彼女の経歴が紹介されていたのですが、彼女はOLを一年半経験したあと四柱推命の占い師に転身し、その後29歳でデビューしたそうです。

子どものころからずっとシナリオの勉強をしていてデビューに至る、みたいな感じではないみたいですね。占い師を経験したことも、独特な感性を養う結果になったのでしょうか。

インタビューをとおして彼女の人生へのエネルギーみたいなものを感じて、少し羨ましいなあと思いました。


まとめ

ということで、シナリオについての小話でした。

小説家になるためには、いったいどんな努力をすればいいのでしょうか。資格の勉強などとは違い、努力が形が目にみえないものなので、不安になります。

ひとつのアプローチとして、シナリオについての知識を学ぶのもいいかもしれません。

はやく私も立派な小説をかけるような人物になりたいものです。

書きたいものがなくても小説家になれる。『マンガを読んで小説家になろう!』を読んだ感想


出版評論家の大内明日香と、作家の若桜木虔の著作『マンガを読んで小説家になろう!』を読みました。

この本は、「書きたいものがなくても小説家になれる」というスタンスで書かれている本で、小説をビジネスとして考える心得、みたいなものが詰め込まれているものでした。

私のような「小説の才能がないと自覚している人」にとっては、とても有意義な本だと思います。

ということで、今日は「小説を書きたいと思っているけど書けない人が、どうやって小説家になるために戦っていけばいいのか」という視点で、『マンガを読んで小説家になろう!』の感想を書きます。


「読める人」と「書ける人」

私は小説家になりたいと思っています。

でも、表現したいもの、書きたいものが特にあるわけではありません。

ただ単純に読書が好きで、その延長で自分も小説を書けたらいいなと思っている。

こういう人は、「読める人」ではあるけど、「書ける人」ではないんですね。

いざ小説を書こうを思っても、一向に筆が進まない……!

だから、「どうやったら小説家になれるんだろ?」と思って、何をしていいかわからず途方に暮れるわけです。

そういう意味で、私は「書けない人」なんです。



「書けない人」の戦略

「書きたいものがなくても、小説家にはなれるんです」と、『マンガを読んで小説家になろう!』に書いてありました!!!

書きたいものがあるなら書けばいい。でも、それって売れるとは限らないよ。というようなことまで書いてありました。

とても背中を押されますね。

私はどこかで、天才じゃないと小説家になれない、と思っていたのですが、どうやらそうでもないみたいです。



凡人が小説家になるための戦略は、すべての物語は「パターン」と「バリエーション」から成り立っている、と割り切ること。

例えば、パターンは大別して4つ。
・主人公成長・破滅もの
・旅もの
・最初から英雄、天才もの
・特殊なキャラ日常生活ひっかきまわしもの

バリエーションも大別して4つ
・テーマ
・キャラ
・特徴
・世界観

これらの組み合わせで、システマチックに物語を構成すべきとのこと。

それで、上記のパターンとバリーションを学ぶためには、マンガだったり映画だったりでもいいわけです。



私は小説家になりたいくせに、小説は月に2冊ぐらいしか読みません。

でも、マンガでも勉強になるんですね。私、週間少年ジャンプなら毎週欠かさず読んでいます。

ということで、もっといっぱいマンガを読もうと思いました!



まとめ

『マンガを読んで小説家になろう!』を読んで、ますます小説家になりたい気持ちが強くなりました。

書きたいものがなくても小説家をめざしてもいいんだ、と。

そのためには、やはり創作の研究ですね。

勉強はわりかし好きな方なので、もっともっと創作の勉強を深めていきます。



私は、売れっ子小説家になりたいわけではなく、一生に一冊は自分の本を出してみたい、という低い目標でやっています。

小説が好き、マンガが好き、その延長でこれからも頑張っていこうと思います。

ドラクエ主人公リュカの名前に、著作権は認められるのか!?

2019年8月2日に公開された、映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』に関する訴訟がニュースになっていました。

このニュースを見て思ったことを記事にします。
(2020年11月27日時点で、この訴訟は未解決です。)



ドラクエ主人公、名前は誰のもの?小説家が賠償求め提訴(←外部リンクに跳びます。)

個人クリエイターでもクラファンで裁判資金を調達し、泣き寝入りせず戦い得るという例を示したい(←外部リンクに跳びます。)



映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、ゲーム『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』をベースとした物語です。

私は、映画の方は見たことがないのですが、ゲームの方はもちろんやりました。名作ですよね。めちゃくちゃ面白い。

主人公が奴隷になったり、石になっちゃったり、めちゃくちゃしんどい人生を送るんですよ。

どうして主人公はこんなにひどい目にあわなければならないんだ……! って、ゲームをしながら悲しくなりました。

でも、素敵な女性と結婚できて良かったです。

ちなみに私はビアンカ派ですね!


訴訟の内容

主人公の名前に「リュカ」という名称を勝手に使われたとして、作家の久美沙織が、映画を製作した会社などを相手に、損害賠償を求めて訴訟を起こした事件です。



映画の元となっているゲームの方では、主人公の名前は特に決められていませんでした(プレイヤーが名前をつけるようになっています。)。

そして、このゲームをもとにした小説も出版されており、このノベライズを手掛けたのが久美沙織です。その際、久美沙織によって主人公の名前が「リュケイロム・エル・ケル・グランバニア」と名付けられました。

一方、今回の映画では、主人公の名前が「リュカ・エル・ケル・グランバニア」となっています。

「リュケイロム」と「リュカ」で似ていますよね。

そこで、久美沙織は、主人公の名前を勝手に使われた、つまり著作権を侵害されたとして、訴訟を起こしました。



著作権は認められるかについての私の見解

久美沙織の著作権が認められることはないんじゃないのかなー、というのが私の見解です。

著作権法では、「著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したもの」という定義があります(著作権法の2条2号です。)。

そのため、文章に関する著作物については、ある程度の長さやボリュームがないと、著作物とは認められないんですね。

短すぎる文章には、著作権は認めないってことです。短い文章にも著作権を認めてしまうと、著作権の侵害があっちこっちで起こってしまい、誰も創作活動ができなくなってしまいますからね。



今回の主人公の名前「リュカ」について考えてみると、キャラクターの名前というかなり短いフレーズを問題にしていますよね。あまりにも短すぎるし、著作権を主張するには弱いと思います。



朝日新聞の記事では、久美沙織が「繊細で優しいけれども勇敢な大人に成長していく主人公にふさわしい名前を考えた。響きや字面なども意識した。」と話していると書いてありました。

この部分が、「思想又は感情を創作的に表現したもの」だという主張でしょうか。

なかなか難しい気がします。



本のタイトルには著作権は認められない

ところで、一般的に、本のタイトルにも著作権は認められないって知ってました!?

本のタイトルも、「短すぎる」から、著作権は認められないんです。

まあ、でも普通はパロディとかじゃない限り、既に出版されている作品の作家さんに敬意を表して、まったく同じタイトルの作品は作らないですよね。



でも、たまたま出版の時期が被ってしまい、似たタイトルの作品が世に出ることもあるみたいです。

そんな小話が筒井康隆の『創作の極意と掟』という本に書いてあって、面白かったです。

創作の極意と掟 (講談社文庫)

創作の極意と掟 (講談社文庫)

  • 作者:筒井康隆
  • 発売日: 2017/07/14
  • メディア: Kindle版



……最近のライトノベルはタイトルが非常に長いのもあって、こういうのには著作権は認められるんですかね。非常に気になります。




まとめ

おそらく久美沙織も、訴訟に勝てるとは思っていないんじゃないかと思いますね。

著作権は認められないにしても、ノベライズの主人公の名前から「リュカ」という名前を引っ張ってきたんじゃないか、というのは予想されるところなので、社会への問題提起という意味で訴訟を起こしたんじゃないでしょうか。

クリエイターの権利を尊重して欲しいと主張する裁判なんでしょう、きっと。



ということで、以上、「短い文章には著作権は認められない」というお話でした。

『夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』を読んだ感想

夜想曲集 (ハヤカワepi文庫)

夜想曲集 (ハヤカワepi文庫)


カズオ・イシグロの作品である『夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』を読みました。

ユーモアがたっぷりで、小説を読んでこんなに笑ったのは久しぶりです。

「がっはっは!」という感じではなく、「ふっ、ふふっ……!」と声を押し殺して笑っちゃう感じでした。

ということで、この作品を読んだ感想を書きます。

※多少のネタバレがあります。



どんな内容か

『夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』はカズオイシグロの著した短編集であり、5つの短編で構成されています。

5つの短編は、どれも「音楽」がテーマとなっています。

主人公が「老歌手」であったり、「ジャズ好き」であったり、「チェロ奏者」であったり。

そしてさらに、どの作品も「男女や恋人の間の不和」が鍵となった物語です。

冒頭から「登場人物の男女の仲が、なんだかうまく行っていない感じ」がひしひしと伝わってきて、ハラハラさせられてしまいます。

「音楽家」という単純じゃない生き方をする人たちが、単純じゃない関係を築いていく様は、なかなか私には想像できない世界にもかかわらず、切なくなってしまいました。

でも、重苦しい雰囲気はまったく無くて、とても楽しく読むことができました。

むしろ、くすっと笑えちゃいます。



すごく笑った

5つの短編のうち私が一番好きなのが、『降っても晴れても』です。

50歳ぐらいのジャズ好きが主人公の物語なんですが、その主人公が、古い友人夫婦に会いに行くところから物語が始まります。

最初に友人夫婦の、夫の方と会うのですが、なんだか様子がおかしい。

どうやら妻とうまく行っていないらしい。

そしてせっかく会いにきたというのに、「妻の機嫌をとっておいてくれ」という自分勝手な頼み事をして、友人は出張に行ってしまいます。

そこから、主人公の奮闘が始まるのですが……。



主人公が、もうダメダメすぎて笑っちゃいます。

やることなすこと、みんな裏目に出て何一つ解決できない。

ヘンドリックスに成りきって本を破るところとか、ブーツを煮たキッチンが見つかるところとか、もうすんごい笑った……!(ぜひみんなに読んでほしい。)

こんなに笑ったのは、漫画『へ~せいポリスメン!!』を読んだとき以来じゃないでしょうか(『へ~せいポリスメン!!』は私のお気に入りの漫画です。)。



でも、主人公は友情を大切にするとても良いやつなんだな、というのがとても伝わり、なんだかほんわかしました。



カズオ・イシグロの笑いのセンス

私はこの作品の前に、同じカズオ・イシグロの作品である『日の名残り』を読んだのですが、それもとても面白かった。

読んでいてとても切なくなり、間違いなく私の人生観にも影響を与えた作品になり、私のお気に入りの一冊になりました。

私にとって『日の名残り』はそうした思い入れのある作品です。

ところがです。

「他の人はどういう感想をもっているんだろう?」とネットで検索してみると、「すごく笑った」「シュールな笑い」と書かれているブログを発見し、「いや、そんな笑えるような話じゃなかったでしょ! ぜんぜん作品を理解していない!」と憤りさえ感じてしまいました。



でも、『夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』を読んで、「シュールな笑い」というのが少しわかった気がします。

私なりに感じた言葉で評すると、「本人は実に真剣であるがゆえに、ちょっとずれていることに気づかないことで生じる笑い」でしょうか。



『夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』の最後についている作家・中島京子の解説を引用すると、「真面目なフリをして、笑いのツボをちょんちょんと突っついてくるのは、実はカズオ・イシグロの得意技だ。」とのこと。

私の方がカズオ・イシグロの作品をぜんぜん理解していなかったみたいですね。恥ずかしい限りです。


まとめ

『夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』は面白い。

ほかの作品も読んでみたくなりました。

文章も読みやすいものなので、ぜひオススメしたい作品です。

文豪たちが愛した万年筆と、ちょっとした小話

作家を目指したことがある人ならば、誰でも一度は万年筆に憧れたことがあるのではないでしょうか。

かくいう私も、万年筆にはそこはかとないロマンを感じるタイプの人間です。

文豪たちはどんな万年筆を使っていたんだろう……?

そう思ったので、「文豪たちが愛した万年筆」をテーマに、ちょっと調べてみました。

※ちなみに、情報源は「万年筆の教科書 (玄光社MOOK)」です。



夏目漱石

夏目漱石は、『余と万年筆』というエッセイを書いています。

エッセイに書くぐらいだから、かなりの万年筆好きなのか……! と思いきや、そんなこともなかったようです。

ペリカンの万年筆を使ってみたけど使いにくいな、とか。
もらった万年筆を器械体操をしていたら折ってしまったよ、とか。
オノトの万年筆は使いやすいな、とか。

そんな小話が面白おかしく書いてあります。

『余と万年筆』は短いエッセイですし、青空文庫で無料で読むことができるので、気になる方はぜひ読んでみてください。

ちなみに、「オノトの万年筆」はイギリスのデ・ラー・ルー社が製造していたのですが、現在は生産が中止されていて、いまや幻の万年筆となっています。

(その後、丸善がオノトを継承し、丸善オリジナルのオノトモデル万年筆を販売しましたが、これももう生産が中止されている……のか? アマゾンで探してみましたが、現在お取り扱いできません、となっていました。)



井上靖

『闘牛』で芥川賞を受賞した井上靖は、「モンブラン・マイスターシュテュック146」という万年筆を愛用していました。

文字を書くときの感覚を自分好みに調整するためなのか、井上靖の万年筆にはインク窓の部分に絆創膏が貼られていたそうです。

握りすぎて、絆創膏が黒ずんでいたのだとか。



中里恒子

中里恒子は、『乗合馬車』で女性初の芥川賞を受賞しています。

そして、中里恒子も、『萬年筆とわたし』というエッセイを書いています(残念ながら、私は『萬年筆とわたし』を読んだことがないですが……。)。

そのエッセイの中では、「ボールペンは使わない、かたくて手が疲れるから」と語っているそうです。

彼女は字が大きく筆圧が強かったせいか、万年筆の痛みも早かったそうですよ。

彼女が愛用していた万年筆は、「シェーファー・シュノーケル・アドミラル・パステルグリーン」です。

↓↓↓ 中里恒子が愛用していたモデルではないですが。シェーファーの万年筆。



中野孝次

中野孝次の愛用した万年筆は、「モンブラン・ライターズエディション・オスカー・ワイルド」です。

この万年筆は、友人であり小説家の近藤啓太郎との賭碁で勝ったお金で買った万年筆とのこと。

彼はこの万年筆を「近藤記念」と名付け、愛用していました。



まとめ

文豪のエピソードって、オシャレでかっこいいですよね。

私もいつか、作家として大成し、エピソード付きで愛用の万年筆を紹介してもらいたいものですね……!



ほかにも、三島由紀夫さん、星新一、司馬遼太郎、山崎豊子、林真理子、池波正太郎、井伏鱒二といった方々が、万年筆を愛用しているそうですね!(ネットで見つけた情報のため、真偽は確かめていないです。)